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そこに言葉があるから・・・(閑話休題) 

ミクシーのプロフを書きかえるにあたって、
言葉を巡り、思考は随分遠くまで来てしまった。

そんなに遠くにいけるわけもないのに。

アイラ島の合間に、時間があれば読んでみてください。


モーツァルトの「レクイエム」を聴きながら・・・


ひさしぶりにぼんやりと浮かんでいた言葉を書きとめる。
悲しみのメロディーが思考を邪魔をしないのがいい。

デジタルの文字を信じることができず、
ネット上に永遠なんてないと思うから、
何かを記そうなんて思わなかったのだ。

まばたく光の文字達には、真実はないんだろうと・・・
だから、ちょっと彼らと距離を置いていたのだ。

文字は、紙に焼き付けられたもの、色をつけられたもの。
図書館や本屋にそびえる、膨大な知恵の蓄積にこそ真実があると。

書物に残された言葉の組合せだけが、人間の歴史の中で
過去の人間から、現代への綱渡しをしてきたのだ。


「レクイエム」の合唱の間に思考を漂わせながら、
そのことの意味を考えてみた。


今、目にしている文字、
それは多くの組合せの中からキーボードから入力されたもの。
前提には、プログラム言語があり、使いやすい画面の舞台裏を
構成していて普段は目にすることはない家の「骨組み」である。

プログラム言語は、「骨組み」だから普通に読むだけでは
意味をなさない英語、数字の羅列に過ぎない。
でも、一つ一つの組み合わせが重要な意味を持っている。

HPやブログでたった1ページ見るだけで、
サイトの裏で変換された日本語とプログラム言語の
莫大な言葉の山を読んでいることになる。

言葉の配列に興味を持って、言語学の観点から
ソシュールの本を読んだ。
彼の徹底的に文章を砕き、単語にし、
単語をすりつぶして記号にして研究する手法は、
プログラムのバグをとる作業に近いのかもしれない。

考え方を詰めていくと、
プログラムのロジックを考え、役に立ち面白いHPを作ることと、
構想を練って感動する物語を作ることに差異はないことになる。

瞬間的な文字の輝きの中に永遠を見ているのかもしれない。

ブログを書く人が、500万人になるという報道を聞いて、
このことを理由にするわけにはいかないだろうけど。

言葉の力をこれだけの人が信じているのは、
この世界を生業にしようと思った人間の一人としてうれしくもある。

それに加えて、地震がきて印刷された文字が燃えて灰になるよりも、
自分の言葉の断片がどこかのパソコンに
残ってくれていたほうがうれしい。


パソコンのCDから流れてくるモーツァルトの未完の葬送曲である
「レクイエム」は、奉献唱の"SANCTUS"
にさしかかってきた。
映画『アマデウス』でもエピソードになっている
「レクイエム」であるが、実は曲の大部分が
モーツァルトの手によるものではない。
彼の死後に弟子たちが書き加えたものである。
才能の違いゆえに、駄作というには惜しい。
死を悼み、悲しみが心に響くものである。


追加された音符たちの効果は、現代でいえば
増殖する言葉やプログラムがネット上で、拡大し進化していくのと
同じといったらいいすぎか。

伝達され、改良され、広がっていく文字列と、
その中に含まれる真実や感動の言葉たち。


言葉の源は、つまり、人の好みで発する文字の組合せ、そして選別。

選別はその人の趣向そのもの。

趣向とは物事を判断すること。

組み合わせの妙味。
 ・
 ・
 ・
スパイラル・・・


膨大な言葉の渦の中に僕は知らないうちに迷い込んでいる。

このブログもその一つなのだ。


「すべての存在は繋がっている」
       
      地球交響曲 龍村仁監督


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