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マンガ:バーテンダー 

クライミングジムには、マンガが置いてあります。
腕がパンプした場合には、時間だけが解決してくれます。
だから、マンガなのです。

そこで「バーテンダー」を手にしました。



バーテンダーのプロフェッショナルさをリズミカルに描いた作品。
キャラクターの個性がたち、コマ割ごとにテンポがよく、はっとさせられたり笑わせられたりとリズムが気持ちよい。加えて、カクテルの知識やバックグラウンドの深さがストーリーに厚みを与えている。

銀座でバーに詳しい人ならば、モデルとなっていそうなバーテンダーの名前を挙げられるかもしれない。仕事に対するこだわりや、雰囲気が名店のバーテンダーと似ているのだ。

まだ2巻しか読んでいないが、バーテンダーが「Bar」という止まり木と、「tender」というやさしさという意味でできているということから始まり、ストーリーに絡めてリキュールからカクテル、モルトの薀蓄を得ることができる。それは、バーテンダーのプロフェッショナリズムの隠された部分であり、読み手(飲み手)である我々に、バーでの楽しみを教えてくれるものである。

1,2巻のなかでこんなストーリーがある。

ある有名店を追い出されたバーテンダーが主人公とカクテルの勝負をすることになる。同じ材料を使って作ったが、主人公のカクテルの方が味がよかった。その差は何か……同じ材料でもレモンの傷みに気がついた主人公が、その部分を使わずにカクテルにしたのに比べ、そのバーテンダーはレモンの傷みに気がつかずカクテルの味を悪くさせてしまったのだ。

「一事が万事」なのである。万に一つの可能性でおきたこの差が、積み重なるとバーの格となる。

昨年から飲み始めている「ラフロイグのソーダー割」。
単純な飲み物だが、うまい店はうまい。
こだわった氷に、適度に冷えたソーダー水、グラス。
このバランスで、ラフロイグの香りがどこまで引き立つか・・・バーによって味が違う。

今でも思い出す美味しさを引き出すバーがある。
その店は氷が堅くて溶けにくいものを使っている。その氷をグラスのなかで丁寧にステアしてから、溶けだした水を捨ててからラフロイグを注ぐ。それから加えるソーダー水も普段見かけない銘柄。グラスも卵の殻のように薄くて口当たりが滑らか。

バーテンダーのこだわりがそこにある。
いろんなバーで飲んで、わかった格の違い。

「BarTender」に込められた素敵な意味を知って、久しぶりに行きたくなった。

でも僕は、そこでは何も知らない顔をして飲むだろう。
きっと彼は変わらない味で出してくれるだろう。

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バーによるか、自宅で飲むか・・・(BlogPet) 

アイラ君がやまぎの中心もちょっとすればよかった?


*このエントリは、ブログペットの「アイラ君」が書きました。

問題提起 

初対面の人と仕事以外で久しぶりに飯を食った。
若かりし頃は、休日はネットワークが大事とばかりに各種イベントに参加し、自らは企画もしていたものだが、最近はめっきり。
年を重ねてからの初対面だと、お互いの人間観が垣間見れておもしろかった。

男には隙(スキ)が必要なのだという。

たとえば、腹はプヨプヨしているとか、料理は下手でちょっとエロいのがよいらしい。逆に、腹を割ろうとしていたり、料理の食材や味に妙に詳しくうるさかったりすると世の女子からひかれると主張された。完ぺき主義では、女子の母性がくすぐられないということだ。

うむ・・・

腕力に関わることは男の仕事で、料理や栄養や体調の管理は女子の領分。そこまでやられたら出る幕がなくなってしまう。たしかにスキがあるほうが、出会いには引っかかりがあるだろう。冗談で言ったエロいギャグが、もしかしたらうまい方向に進むかもしれない。料理のウンチクを語るよりも、楽しいことが待っていそうな気がする。

だけど、今さら自分のキャラクターの変更ができるか?初対面の場なら、相手にも誤解されることはないだろうが、ずっと「素」で通してきたから、ニセキャラクターに惹かれた相手はいずれ興味を失うだろう。

1、2回の楽しいことは確かに魅力的だ。駆け引きの場でこのブログのテーマである酒の力をかりて、現実的な自分を偽る荒業で闘う。村上春樹の小説の主人公のように、あっという間な関係。ただ過去の経験からいうと、そういう関係は砂上の楼閣で一瞬の居心地のよさのあとには何も残らず長い目でみたら時間と費用が無駄になる。おまけに偽った自分にも嫌気がさして、精神的にもよくない。

というわけで、結論。

ヤマギワールドにおいては、付き合えば相当重たいことを覚悟してもらわねばなるまい。僕が見ている世界は、深くて広くて曲がりくねっていて、人には意固地で天邪鬼で扱いにくい人間だ。そのかわり相手も重くてけっこう。それは引き受けよう。お互いさまだ。でも、結果的にはそういう関係のほうが困難だけれど、長く続くのだとおもうのだ。すぐにわかっちゃうなんてつまんない。

今後は悪いところを直さずよいところをほめる作戦を継続し、
ただアイラ君の日記を消すのみである。

あー、恥ずかし。

でも、載せちゃう。

口で説明するよりはましだ。


つぎは、ちゃんと酒ネタをさがそぉーっと。
ってアイラ君が・・・

趣向を変えて・・・ 

最近の酒の趣向は、もっぱら焼酎の麦茶割り。

ビールは、飲まなくなった。

というか、飲めなくなった。

若い頃はビールをがぶ飲みしていたものだが、ギネスでもハーフパイントでお腹いっぱい。ジョッキは、やや過剰である。人の体質というものは、時期によって変わるもので、そうして色あせてみえるさまは、冷めてしまった恋愛感情のようだ。なんで、ビールが好きだったのかよくわからない。それを移ろいやすいB型気質に求めてみてもよいのだけれど、多くの年寄りはビールを多飲していないようで、それもまた年齢を重ねたゆえの結果なのだと思いたい。

夏らしい暑さとなってきて、家では麦茶を作ることにした。必要のない時にはアルコール抜きで、飯のときにも小学生の頃のように麦茶を飲む。実は酒が嫌いなんじゃないかと思ってしまうぐらいの徹底ぶりだが、そういうヘルシーな生活も好きだ。昨年はラフティングなどにも手を出したけれど、今年は夏までに、クライミングと本気のコンディショニングで、腹は6パック(割ること)を目標に鍛えてみたい。ここ10年の間で今が一番からだが柔らかく、筋力もついているしスタミナもある。それでもボルダリングで登れない。衰えさせてなるものかと、年齢と闘ってみたい。



たぶんに雑誌「TARZAN」の影響を受けているのですけれど。それもよいきっかけとして。
「飽きるなよー」と、自分に言い聞かせながら・・・

バベル(BABEL) 

ネタばれなしのレビューです。




※一部、強い刺激があるとの報道があります。
目が回ったり、残像が残る感覚があるので、そこは刺激を受けないように薄目にでもして乗り越えるのも一つの手かもしれません。ただ、映画館で観るからには、ギリギリまで体感するのが鑑賞の醍醐味でもあると思います。



最近は、グローバリズム批判を意図して貧困を描いた作品が多いなか、先進国の人間であっても、心は通わず空虚で不幸であるということ描いた作品。

旧約聖書の創世記11章「バベルの塔」を新共同訳で引用してみる。

『「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなこと(天まで届く塔を建設すること:筆者追加)をし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。』


バベルは人間の傲慢さに神の怒りをかったことの象徴として使われる。しかし、現代は神が予定していたよりも、悲劇的である。同じ言葉を介してさえも、心は通じないのだから。それが、負の連鎖となっている。

特筆すべきは構成のうまさ。同時進行する物語で、観るものには緊張感がずっと続く。2時間におよぶ長編だが、どこかで進行している悲劇に休むことがない。ヒューマンドラマにぶれることなく、圧倒的なリアリティで迫ったことを評価したい。

  *  *  *
なんて心のことを書いてみても、
僕の場合には「バベル」以前にあまりしゃべらなかったり。
「あ、うん」で解ってくれ・・・みたいな。
ま、そういわずに飲みますか。
これが“Road to Islay"流かもしれません。

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