スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

芸術家の芸術論 

週末を完璧に飲んだくれて過ごしたせいか、
月曜日から「ちゃんと生きよう」という気持ちになった。

といいつつ、水曜日ですけど。

人は堕落しすぎると、自己規制が働くものである。

たまった新聞を整理し、一冊読了し、飯もちゃんと食った。


■芸術家の芸術論

 村上隆「芸術起業論」(幻冬舎)

死後に名を残そうとする芸術家の意気込みはすごい。
アートいう文脈をどう作るのか、仕掛けだらけだ。

本書の中で、ゴッホが絵よりも生前のエピソードだけで価値をあげていると分析する。マチスの絵を純粋な芸術の表れだと評価する。宮崎駿の不満を理解し、共感する。

縦横無尽の芸術論が気持ちいい。

表現者であり続ける人の、エネルギーの塊のような本だった。

読めばきっと、何かをおすそ分けしてもらえるはずである。


■おまけ

飲みすぎ防止、飲まない体へ

「食事にビール」とという発想を、やめることにした。
先入観であわせるのも変だろうということで。

昨年の夏に買ったものの未開封だった麦茶を作って飲むことにする。
昨夜も飲みながらの会食だったが、節制してみた。まわりの人が酒を飲んでいる姿をみているだけで、十分である。こちらもテンションをあげておきさえすれば・・・

やっぱり、お酒は飲まないのに越したことはないのかもしれない。

今週末は、甲武信岳(2475m)への登山。
コンディショニングにつとめておきたい。
スポンサーサイト

たとえば(BlogPet) 

サラダを食べたりと、栄養素とかを関係したかも
時間は気がつかない小さな変化を週一回ぐらいのクライミングや水泳で感じて、体の調子を自覚してお茶漬けとか、大量の♪
深夜になったら、うどんを茹でたりしておくと元気が出るから不思議です


たとえば、仕事が煮詰まって帰りが遅くなった時、その日の仕事量を見切れずに飲んだ酒の量、人間関係とか重たくミョウガと牛乳がアーモンドの香りでおいしくなります
日常では体のも、壁を登っていても、壁を登っているつもりです
深夜、ネットで柔らかい大事とかを
とか思ってるの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「アイラ君」が書きました。

バーによるか、自宅で飲むか・・・ 

たまには、飲みながら、
このサイトらしいことを書いてみる。

よく、こんなことで帰り道に頭がフル回転したりする。

「バーによるか、自宅で飲むか・・・」

バーテンに、お酒を教えてもらったことも多い。
その飲み方や、過ごし方も・・・
それ以外にも音楽を知ったり、カクテルの味を覚えたり、
恋愛やら本やら映画のことも教えてもらったと思う。


もっと若いころは、仕事で疲れて、
それでも家族のいる家には直接は帰りたくなくて、
でも、ご飯は食べたいという状態でバーに行っていた。

僕よりも15歳は年上のなじみのマスターは、
忙しいのに腹が減ったという僕のために、
いやな顔をすることなく重めのパスタやら、
ピラフを作ってくれたっけ。

音楽もジャズを中心に、落ち着いていて、
高ぶった気分が休まったものだった。
バイトの子には、CDしか触らせず、
レコードで聞かせてくれるのはマスターがいるときだけ。
壁面いっぱいのレコードも魅力的だった。

他には前職の仕事場の近くにも、
まだ20代も前半なのにしっかりと話せるバーテンがいる店があって、その落ち着きをみてびっくりしたものだ。いつか書いたことがあったけれど。
その店も、ご飯が食べられるというのがよかった。オーセンティックになりすぎず、安っぽくないというスタンスが素敵だった。

で、今の地元では・・・
僕にはウィスキーの詳しい人のキャラができてしまって、
昔のようにはいかないみたいなのだ。
音楽もどっちかというと、うるさくないけれどロキッシュで落ち着かず、ご飯は出てこないし。

確かに安くて、気取らず、気楽なんだけどもちょっと物足りなくてね。
思いっきり疲れたときなんかは、バーテンが僕に気を使いながら会話を続けられるよりは、のんびり夕刊のコラムでも読んでいたいと思うときもあるのだ。
感じたくなくても、わかるんだよね、そういうの。

バーテンの所作について、客が講釈をたれるほど、
不躾なこともあるまい。そういう気分の時には、
バーに近づかなければいいだけのことである。

だから、僕は、その気分をちゃんと見極めて、家で飲もうと決めるときもある。場所として、いくつかバーを知っているのは悪くない。
最近、よいバーとの出会いもないなぁ、夜の街に繰り出したいなぁと、時間もないくせに、そういうときこそ余計なことを思うものである。

バーによるか、自宅で飲むか・・・

悩ましきかな、この想い。

30代の地平線へ・・・ 

ほっと更新。

ネットの外部性を気にする余裕がないほど忙殺されるというのも、幸せなことなのかもしれない。暇なときほど、人は余計なことを考えるものである。だから、これぐらいの忙しさをよしとする。

で、なかば強引に書いてみた。


■ブログのこと

拝見させていただくブログで、元気をいただくことが多い。

ブログを書きながら自分を鼓舞し、客観視し、追い込んでいる姿をイメージする。「こうはしちゃおられない。」そういうあせりは以前ほどないけれど、別々に流れる時のなかで何を考え、どう行動したのか、励みになるのである。すごい人たちばかりだ。

一つひとつ紹介できないけれど、ここで小さく「ありがとう」と言ってみる。

ありがとー!

一方で、この日記は「自己愛100%」、「自分の半径90センチのこと」だけでできている。いつまでたってもそれしか書いていない。書けない。この「自分の大事さっぷり」が、そろそろ嫌いになってきた今日この頃である。


■旅のこと

今抱えている大きな仕事の後に時間が空くのだけど・・・

旅に出るにもよい場所がない。

藤原新也氏のブログで、自身を「蟄居」させると身の置き場を決めたように、「余分やゆらぎが加速度的に消えつつある」日本のなかで「旅」を成立させることは困難なのだろう。ロードサイド店舗、コンビニ、ショッピングセンターなど、どこにもある風景、食べ物ばかり。確実に失われているものがある。日本では、もはやまだ見ぬ風景などないのかもしれない。

アジアのねっとりとする湿気と活気にまみれるのも悪くないのだけど、それを受け止めるだけの体がすでに失われているように思う。今年に入って、ブータンやチベット行きを検討したけれども、コストや時間をかけるのに比べて、写真や本の情報を確認する以上に得られるものは多くないと判断した。

結局、一人でテント担いで山を縦走するのも悪くない。

テントを買おうと思う。

そんな結論になった。


■年のこと

そろそろ30歳になる。

これが意外にも粛々と受け止められそうだ。1年ぐらい前には、「三十路」と言われてずいぶん騒いだし、その響き自体が怖かった。

この時期の忙しさで、おおかた思考がうまく働いていないからかもしれない。それと、夏の登山のために節制している体のコンディションがよいためか、加齢をごまかせているのだろう。坂の多い自宅周辺や階段を駆け上がっても、ほとんど息が切れない。まだ、あまり寝なくても大丈夫だ。いつまでだまし続けられるか・・・今の体は、以前よりは確実に強い。

ある年齢まで行くと迷いがなくなるから生きやすくなるといわれているけれど、どうやら本当らしい。考えすぎて、頭の中がぐるぐるするようなことが、5年前よりは減った。それは、可能性がせまくなったことと同じなんだけど、昔はそれが不満だった。悔しいやら、悲しいやらの感情が混ざって、どうしようもなかった。未来に対して万能感を失いたくなかったのだ。

最近は挑戦したり、無謀な戦いを精神的にもしていない。無難で、ちょっと物足らなくもある。平和すぎるのである。「攻めていなくてよいのか?」と、自問する。加えて「愛だ、恋だ」と騒ぐこともないせいか、静かに自分と対峙している。日常は、淡々とすぎてゆく。

いま、何ができるのか。今までの道をこの先どの方向に引っ張ってみるか。変えられない過去を認めて、未来に地図を描く。生き方はポップに、考え方はスタティックにやってみたい。

伸びシロはあると信じる。密かに魂を燃やしつつ、向上させてみたい。

あせらずに、「今、ここ」(←このフレーズが好き)で生きるのみだ。

と、いましか書けないことを書いてみた。


あっと、、ブログペットのアイラ君の記事をこっそり削除しているのは僕です。
ファンの方、すみません。
Powered by . / Template by sukechan.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。