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人からもらう刺激 

ビジネス書でいうと自己啓発的ですが、おすそ分けのつもりで・・・


営業ではないので、人と会うことは多くない。
たくさんの人と一度に会うとぐったりするので、ほどほどがちょうどいい。
会話から色々と引き出したいと思うから、切り口が多い人ほど頭が疲労する。限られた時間の中で濃密に話し、親密になれるか、目的を一つの方向にできるか、ここが勝負だ。

久しぶりに会う人からは、「変わらぬところ、変わったところ」を見つけるようにしている。銀座の一等地で弁護士事務所を構える仕事の厳しさの中で、1年1年と継続していく力強さ。ともすれば、変わらぬ日々に埋没し、惰性になりがちな日常をアグレッシブに仕事をし続けている。当たり前だけども、難しいことだ。

それから、新しく仕事を一緒にする人。
経歴を見ることでビジネスの世界をどのようにかいくぐってきたのかがわかる。その苦労や経験がどのような血肉となっているのか、それをまとめてカタチにしてみたいと思わせる。一つの企画を通して、互いにどのように展開するか、手段と目的をあわせていく。

その話の中でもらった松井証券の松井道夫氏の言葉が印象的だった。

「不満からは何も生まれない。不安を行動の糧にして可能性を模索する」

サラリーマンは不満から逃れようとし、経営者は不安から逃れようとする。サラリーマンが独立したら今度は不安が襲いかかる。不安すら楽しめるかどうか。
つまるところ何を大事にして、どんな種類のストレスに耐えて、目の前のやるべきことを遂行するか、だろう。仕事だもの趣味とは違って、プレッシャーからの全くの開放はないはずだ。「やりたいことと、やるべきことが一致するのが、本当の自由だ」といったのは、誰だったか。

会社に戻る道すがら、人に会って得たものが体にしみわたってきた。
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考える→喜劇、感じる→悲劇 

茂木さんの本を読んでいたら、出てきた言葉。

なかなか、味わい深い。。。

「世界は考えるものにとっては喜劇であるが、
   感じるものにとっては悲劇である」


 “1770年、イギリスの首相ロバート・ウォルポールの一番下の息子、ホラス・ウォルポールは、サー・ホラス・マンに宛てた手紙の中でこのように書いた。

考えたり、感じたり、忙しい。

考えるのはやめられるけれど、感じるのは避けられない。
だから、喜劇と悲劇と言われるのかな。

箴言の味わいが、好きです。

成長の記憶 

焼酎を昨日は何杯飲んだんだろう。
飲み放題のくせに、美味しい酒がそろっているもんだから、がぶ飲みペースで飲んだ飲んだ。

で、頭が活字についてこれないぐらいの二日酔い。
仕方がないのでメールでも書いているふりをしている。

学生時代に経済のことや哲学のことを印刷した小さな紙切れを、ぼくは、新聞と称してみんなに売っていた。しかも100円で。やっとパソコンが普及してきた頃で、まだメルマガよりも紙での印刷が力を持っていた時代、きれいな活字で文字を組むのが楽しくて毎月発行しては、10人ぐらいに配っていた。いまそれを読み返すと、書くことが目的になっていたために内容はずいぶんひどかった。

二十歳の学生さんの挨拶を聞いて今まで歩いてきた遠くて長い道のりを想うとぐらぐらしてきた。身につけてきた知識と経験が僕にはあって、彼女にはない。広い世界を見てやろうと旅をしたことや、銀行で企業の財務をめぐって、今、ここにいる自分という存在が・・・

って、えーい面倒になってきた。途中まで書いてきて匙を投げちゃう。
二日酔いだし。。。

何を言いたいかっていうと、いろいろ回り道をして結果的には学生時代に好きだったことに近いことをやっているんだなっていうこと。圧倒的な読書量を持つ人との会話とか、キレキレロジックの厳密な文章添削とか、そういうのを全部ひっくるめてよしとしている。このような感情を読み手の心情に想起させ、明日への力が出るように書いてみたかったらしい。匙でなくペンを投げたのだ。

10年のスパンで考えるきっかけになったのは、10歳若い子と会ったときの印象がたどたどしさからきている。体に気をつかい、自分はまだ若いとおもっていたら、あっとう的な若さにおののいたわけ。


こりゃ、ブログペットなみの文章だな。
あっちょんぶりけ的駄文と名づけて、アップします。
二日酔い回避だけは、まったく学習しないことがわかりました。

言葉の規定力 

やや風邪気味です。そろそろ直ってもよいころです。

久しぶりに会社のできごとを書きます。
力が入った書き方なので、冷静にジャッジしてください。



「言葉の規定力」

こんなことを思うのは僕だけなんだとは、思いたくない。

今日は、わが部署に学生のインターンを受け入れる日だった。

彼女がなんでこんな小さな出版社に来たのかというと、銀行や証券会社を希望しているためらしい。背が低くて、ちっちゃい顔に目がくりくりしていてかわいらしい大学生。ややリクルートスーツが大きいせいか、よけいに小さく見える。学生が会社というものをイメージして、精一杯の正装をしてきたって感じだ。

即席の机と椅子が用意されて、なんだかんだと雑用をやらされていた一日の最後に、彼女と元銀行出身の隣の人との会話が聞こえてきた。
銀行とかってどうですか、と聞く彼女に答えて、

「やめたほうがいいよ、あんなところ。ぼろ雑巾のように使われるだけだよ。公務員がいいよ。楽だし休めるし。」

哀しそうに、えーっそうなんですかと彼女。
同じく銀行出身のデイトレのプロが前に座っていて、思わずその会話に割り込んで

「自分が(仕事を)損切りしたからって、人にそれを押し付けるのはどうなの。」

と、いってから、

「ヤマギ君、なんか言ったほうがいいんじゃない」

と、僕に会話をふってきた。

わーなんで、僕なんだと思いつつ、隣の人の発言に反感をもっていた僕は、

「銀行や証券会社は、社会人のスタートにはいいところだよ。最初に会社に入るなら、絶対オススメだね。」

と、思わず言っていた。
彼女はきょとんとして、いろいろ人生勉強をしてから決めようと思いますと言ってから、机の周りを整頓して帰っていった。

僕の頭の中では、デイトレのプロが「仕事を損切り」っていう言い方のうまさに感動してそうだよな、仕事を変えるときは損切りだよなとぐるぐると考えていた。と同時に、ふだんは冷静な彼が僕に会話をふったのは、同じ銀行出身者の僕に強い言葉を言わせたかったんだと気がついた。

銀行や証券会社を志望した彼女の動機を聞いてはいないが、何かのきっかけで選んだ彼女の答えを変える出来事が目の前で行われ、それが無神経な言葉から始まったのだ。その裏には、隣の人のつらい経験から来ていることも知っているが、そのまま学生にぶつけてよい言葉ではなかった。

金融業界を変なバイアスをかけてみて欲しくなくて、デイトレと僕の言葉は全力で打ち消すべく戦ったのだ。彼女は、そのことに気がついただろうか。言葉が人生に与える規定力を僕は恐れていて、特に就職を前にした時期の大人の発言は大きくて重たいからだ。

大人はずるい、何を言っても許されていると思っている。
世間に揉まれて強くなるというけれど、麻痺するぐらいだったら、痛くても感覚の鋭さは失いたくないものだ。

読書:旅日記 

ふわふわと定まらない興味と関心につきあってくれますか?




先日、デビット・ゾペティの「旅日記」という本を読んだ。

著者は、ウィスキーワールドの巻頭で取材を受けていたスイス人で、日本語で小説やエッセイを発表している。
図書館で棚をぼーっと眺めていたら見つけた。どっかで見た名前だなと。

「旅日記」の旅で描かれるのは、テレビの取材の仕事で行ったアラスカからアリューシャン列島までの幅広い旅先での風景や心象である。歯切れのよい文章でテンポよく句点、読点のリズムがある。同時に外国人の感性というフィルターを通して、日本語を読むのが不思議な感覚になる。日本人の旅行者と同じことを、外国人も感じている。

旅のエピソードに、外国人の視点と日本語が混ざっていい感じなのである。

ちなみに、アイラ島にはあとがきでふれて、そこで完璧な一日だったとふりかえっている。ジュラ島までエピソードは、そこだけは旅が好きな人よりも、ウィスキーが好きな人に読んでもらいたいところ。

すべての旅が好きな人のために・・・著者からの言葉を抜いておく。

「僕は物思いに耽りながら旅をするのが好きだ。…人生についていろいろと考えたりしながら。…旅をする。そういう観点からいえば、旅は僕にとって、外界からの無数の印象や刺激を受けて、また吸収できる機会であると同時に、内面的な思考の世界を自由に彷徨える特別な時間でもある。」

P.S
北海道に行く機会がありました。
知らない土地に一人、「旅」らしい旅で楽しかったです。
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